サンティアゴ巡礼はしたことないのですがタコのガリシア風巡礼してきました。
オセイラ修道院(オウレンセ)
スペイン北西部、ガリシア地方内陸にオセイラ修道院はあります。
ガリシア語で「熊」の意味のオセイラという名前がついた修道院。
オウレンセ中心部から北に約30kmのセア村から、さらに村北部にそびえるマルティニャ山を上がって約9km、人里離れた山奥です。
1137年、修道士のグループが世を捨て神とともに暮らすために移り住んだ際には、小さく貧しい建物しかありませんでしたが、寄進や修道士自身が土地を買い広げたことにより、徐々に大きな修道院へ生まれ変わりました。
タコが内陸にたどり着いた理由
宗教的価値と経済的な成長を高める中、オセイラ修道院が治める土地の中でもっとも古くから所有し、利益を生んだ場所、それはポンテベドラの豊かな海産物が水揚げされる港、プエルト・デ・マリンでした。
砦を有し港を守りながら、漁船を組織化し漁を促進、約100km離れたオセイラ修道院や周辺の地域へ魚介を供給させていました。
豊かな魚介が内陸に入るようになるも、その中でタコはその硬さから価値のない食材とみなされ、修道院には一部のみ納められていましたが、暴れるタコを叩いて失神させた偶然からか、煮る前に強く叩くことで柔らかくなることに気づき、さらにこの地域の軟水で煮込むことでタコが柔らかく食べられるようになったと言います。この発明?のおかげで、タコはオセイラを中心とした麓の村でご馳走として扱われるようになり、お祭りなどで供される料理の一つとして広がっていったようです。
小麦のない村にパンが来た
海のない山奥の村にタコが入り有名料理が生まれたのがオ・カルバジーニョ、その隣、オセイラ修道院の麓の村セアは、現在では原産地呼称認定のパンを焼くパン職人の村として知られています。
しかしタコが内陸の村オ・カルバジーニョで村人たちのご馳走となった時、セアはほとんど小麦の栽培がない地域だったと言います。
オセイラ修道院は、当時の王サンチョ5世の許可を得て月に一度セアで市場を開き、そこで修道院内部で作っていたパンの余剰分を販売したことから、少ない小麦の割合でパンを作る技術が村人に広まり、その後修道院へ納めるまでになったそうです。
オ・カルバジーニョとセア、オセイラ修道院の今
オセイラ修道院建立から8世紀、オ・カルバジーニョではタコのガリシア風が観光資源として多くの経済効果を生み、またセアでは年間100万個のパンがガリシア、スペイン他地域へ出荷されています。
海のない村でタコの料理が生まれ、小麦のない村がパンの村に生まれ変わった背景には、今もなお山の中腹に静かにそびえるオセイラ修道院がありました。
現在も16名の修道士が生活しています。もしオウレンセに温泉を入りに行くことがあれば・・ぜひ遠足にオセイラへ。時が止まったような美しく静かな修道院です。
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